自由の話

人はなにも責任を持たないときが最も自由なのかもしれない。

 

私は現在、とある市役所のESを書いている。

その自己PR欄に「自由に自己アピールをしてください」と書かれていた。自由にと言われると様々な案が浮かんでくる。写真を張り付けて、視覚に訴える方法を取るか。画用紙やイラストでカラフルにアレンジしてみるのもいい。それともいっそ漫画を描いてみるのもありかもしれない。

その時、ふと考えた。こんなに奇想天外なアイデアが浮かび、実行に移そうと考えるのは私がそこに責任を持っていないからだ。私がこの市役所に絶対に入りたいと思っていないから、こんな訳の分からないアイデアを発想するのだ。もし、絶対に入りたいと思っているんだったら、大博打せず確実な方法を取るに決まっている。

 

近年、私たちに求められているのは「主体性」「課題解決能力」「新しいことを生み出す力」だが、これはまさに私が市役所相手にやろうとしていることではないだろうか。つまり、これらの能力を発揮するためには責任や余計な考え、想いを入り込ませない環境が必要なのだ。

しかし、最近は何かを行おうとする度にやれ誰の責任だと騒ぎ立てて、責任の押し付け合いをしているのを見かける。そんな環境じゃ思い切ったいいアイデアなんて思いつく訳がないし、思いついても実行されることなんてない。

 

革新的なアイデアを部下に求めるのならば、その責任を全て引き受けるぐらいの覚悟を上司や管理職は持つべきなのだ。